ララ物資〜戦後の学校給食。横浜から全国へ

●最高にワクワクする横浜を、つくろう

太平洋戦争終了後の混乱期(昭和21年)、横浜の新港埠頭に、極端な 食糧危機や物不足を救うため、海外の慈善団体からの支援物資を積ん だ一隻の船が接岸しました。船荷はミルク・穀類・缶詰などの食料品から、衣類・ 医薬品までの生活物資でした。この物資は「ララ物資」と呼ばれ以後6 年間、援助は続きました。そして、この中の「脱脂粉乳」による子供達へ の配食が戦後の学校給食の始まりです。

 

横浜の新港埠頭に着いた積荷から始まり、全国にひろがった戦後の学校給食。学校給食のファーストポートであった横浜が、中学校給食に関しては、ラストポートとなってしましました(現在、政令指定都市20都市の中で、中学校給食がないのは、「横浜市だけ!」です)。

 

「どんな家庭環境にあろう とも、未来を担う子供達に、 栄養があって温かい給 食を、お腹いっぱい食 べてもらいたい」。先 人への感謝の気持ち を忘れず、私達も同 じ思いで、中学校給食 の実現に取り組んで います!